【ネタバレあり最速ストーリー】シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(完結編)結末ラスト紹介。鑑賞後感想、レビュー

映画

(当記事は2021年03月08日に作成されました。)

※ネタバレが含まれます。鑑賞前の方はご注意ください。

延期に次ぐ延期でいよいよ公開された、シンエヴァンゲリオン劇場版:||

アニメ版公開が1995年、新劇場版の序公開が2007年。アニメ版から約26年。劇場版が始まってから約14年の月日が経っていよいよ公開されたエヴァ新劇場版の完結編でもあります。

リアルタイムで観ていた世代も大人になり社会に揉まれながらどこか頭の片隅からエヴァを忘れ、いつまで経っても完結しないということに安心感を覚えながらも、それでいて続編を心待ちにしていた人が多かったのではないでしょうか。

私もエヴァにはどこか他のアニメにはない一つの神話性みたいなものを感じながら今日まで生きてきました。

でもはっきりと今日この2021年3月8日に私の中のエヴァの物語はたしかに終わったのだ。そう思える作品でした。

おそらく過去一番わかりやすい形で私達にこのエヴァを届けてくれたことで

「これで本当にエヴァは終わりだからね。ちゃんと現実に戻って自分の人生生きるんだよ。」

という庵野監督による『エヴァ解答編』みたいな印象を受けました。

どこかシンジくんに自身を重ねながらも生きてきた、エヴァ世代ど真ん中でもある私がシンエヴァンゲリオン新劇場版完結編のネタバレありストーリー紹介や感想、レビューしていきたいと思います。

ネタバレありなので未鑑賞の方や内容を知りたくない方はご注意ください。エヴァファンは劇場鑑賞を強くオススメします。

シンエヴァ劇場版 ネタバレありストーリー紹介

出展:株式会社カラー

上映時間2時間35分という長いストーリーとなったのでなるべく要点のみをご紹介していきます。(それでも結構なボリュームとなってしまいました)初日鑑賞後の記憶で書いていますのでやや表現や順番や解釈等が違うかもしれません。ご了承ください。

ネルフユーロ支部奪還へ、パリでの攻防

ミサトさんの率いる「ヴィレ」はパリのエッフェル塔付近にてニアサードインパクトが起こったことで赤く染まってしまった地上の浄化によるネルフユーロ支部奪還作成を実行しています。
そこに、ネルフが作った敵が横やりを入れに来ます。使途の仮面のようなものをかぶっていますがエヴァと呼ばれていて、どうやらゲンドウ側の「ネルフ」送り込んできたようです。

大量の使途でない敵をマリとエヴァ8号機の活躍で殲滅していきます。ここで大型の敵が襲来。「ボスキャラ」の登場。電磁砲の攻撃を食らいながらもヴィレ一行はこれを殲滅。

ギリギリのところでパリの街の浄化に成功します。そこにあった「ネルフユーロ支部」の重要なパーツを回収しマリが言います。

「どこにいても必ず迎えに行くから。待ってなよ、ワンコくん。」(ここでタイトル画面挿入)


出展:株式会社カラー

同級生との再開、小さな村での生活

前回Qでの戦闘後に救出されたシンジ、アスカ、そしてレイ(の形をしている通称アヤナミレイ)の三人が赤く染まっている世界を途方もなく歩いていました。

シンジはうつむき、何もしゃべろうとも食べようともしません。そんなシンジの姿を見てアスカが苛立ちます。

「こんなところにいたのか。探したぞ。」

そうしたところへ、防護服に身を包んだ聞き覚えのある声が。

シンジが目を覚ますとそこには同級生だった鈴原トウジの姿があった。診療所をやっているようで医者の恰好をしたトウジ。
ここはヴィレによって隔離された小さな村になっていて、ヴィレからの支援によって成り立っているようだった。

トウジは自らの家にシンジとレイを案内すると、温かいご飯をふるまう。レイはおいしそうに汁をすすりながら

「口の中がほくほくする」といい破の時の綾波が見せた表情をします。

「それがうまいってことさ」

シンジは一向にご飯を食べることもなければしゃべることもありません。

そこにトウジのお嫁さんになったヒカリが帰ってきて、再開を喜びます。

トウジとヒカリは赤ん坊を授かって暮らしていました。レイはその赤ん坊に興味がしんしんで目を輝かせながら自分の感情に「これがかわいい」と問いかけます。

新しいものへの興味であふれるレイに対して、シンジは深く心を閉ざしていました。そこへトウジと親友で同級生の相田ケンスケがやってきます。

シンジたちを助けてくれたのもケンスケでした。

「シンジは一旦俺が預かるよ。そのほうがよさそうだ。」

ケンスケは使わなくなった駅を根城にしており、そこにアスカもすでに生活しているようです。

塞ぎこんだままのシンジだったが、アスカの首につけられている装置を見て吐いてしまいます。

どうやら、カオルくんを喪失したときのショックがまだ残っているようで、ケンスケからの食糧も食べようとしないシンジは部屋の隅でうずくまっているだけです。
アスカも積極的にシンジに関わろうとはせず結局自分だけがかわいそうでいつまでの被害者ぶっていると非難します。

ケンスケは仕事で家を空けるが一向にシンジに変化のないことにいら立ったアスカは無理やり食糧のレーションを食べさせながら、いつまで現実に目を背けているのか、なんであの時私が殴ろうとしたのかを聞かないのかと問い詰めます。しかし、反応はありません。

その場所に留まりたくなかったのか、シンジはケンスケの家を飛び出し一人海辺の旧ネルフの施設にいきそこでこもってしまいます。

一方のレイはトウジ達の家での生活の中で、農業をしたり村の人々との触れ合いの中でいろんな感情を見つけ、そしてその感情はどんな風に言葉にするべきかを問いながら村の一員としてすっかり溶け込んで生活していました。

「レイに似たそっくりさん。あなたはレイをマネする必要はなくてあなた自身が感じたことを表現すればいいのよ。」

「つらいこと楽しいことを日々積み重ねながら皆生きている。今が一番若いときだからこそ今日を精一杯生きたい。」

ヒカリにそう言われ様々な新しい経験を重ねながら、本を好きになりそしてネルフで生活していたシンジが自分のために本を持ってきていたことを思いだす。

ケンスケの家を訪ねたレイはアスカにシンジの場所を訪ねた。

「綾波タイプは碇シンジに好意を持つようにプログラムされているのよ。」

「それでも構わない。」

アスカから食料を渡すよう頼まれシンジのもとを訪ねたレイだったがシンジはなおも心を閉ざしていた。シンジがいつも離さないでもっていたSDATを返そうとするが、シンジは受け取らなかった。食料だけを置いていくレイ。

「どうして、僕は世界をこんなふうにしたのに、なんでみんなこんなに優しいんだ!」

ようやく口を開いたシンジだったが、苦悩が痛いほど伝わってきていた。

「みんな碇くんのことが好きだから。」

涙を流しながら食料を口に運ぶシンジ。アスカはその様子を陰ながら観察していたのでした。


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シンジの回復とアヤナミレイという存在

ケンスケの家に戻ったシンジは少しずつケンスケの仕事を手伝うようになりその中でヴィレの作業員である「カジリョウジ」と出会います。

彼はシンジと同じ14歳でミサトと加持さんの子供でした。

加持さんは14年前のサードインパクトを止めるため自ら犠牲となっていて、そしてミサトはシンジを焚きつけたことでニアサードインパクトを引き起こすきっかけとなったことを贖罪として息子には一切会わずヴィレとして人類を守ることを選んだのでした。

ケンスケやレイのおかげで徐々に元気を取り戻していったシンジ。そして村で生活していたレイは「そっくりさん」と呼ばれていたが自身に名前が必要であると言われ考えるようになり。その名前をシンジにつけてほしいと頼みます。

しかし、レイに残された時間は多くはなく、ネルフ本部でのみしか生きることを許されない器の存在のレイはここでは長く生きることはできないのです。

村での仕事を通じて、トウジやヒカリや赤ん坊と過ごして彼女はもっと多くの時間を生きたいと思い涙を流します。

「これが涙?泣いているのは私?」

結局シンジはアヤナミに新しい名前をつけることはなく、アヤナミは綾波だと伝えた。

「考えてくれてありがとう。」

生きていたいという願いも叶うことはなくシンジにSDATを渡しそう伝えるとレイはLCLの液体となりいなくなってしまったのでした。


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シンジとアスカのヴィレへの帰還

ヴンダーアスカを拾うためがこの村にやって来ると言ったケンスケは活動記録とトウジから妹への贈り物を届けてもらうようアスカに頼みます。

この村に残るか、ヴィレに戻るか選択を迫られたシンジはヴィレに戻ることを決意します。

その瞬間「規則だから」とアスカによって麻酔を食らったシンジが目を覚ますとそこはすでにヴィレの船内。トウジの妹のヒカリになぜまたエヴァに乗ったのかと詰められるました。
ヒカリはアスカからトウジの家族の写真を渡され涙します。

シンジは全てが終わるまで特殊な部屋に監禁されることになりました。

本来チルドレンに装着する首の装置は今回は付けないことに不満を持つクルーもいましたがそれがミサトの判断でした。

ヴンダーは本来の目的である「種の保存」を行っており、 ミサトとリツコはそれは加地リョウジが望んでいたとこであることだと話し実際に保存を行っているスペースで加持の話をします。

「やっぱりここが落ち着くのね。あの時おなかに子供がいなかったらあなたが残るというのも止めなかったかもしれない。」

ヴンダーは生命の方舟そのものだった。だが今は人類を守る役目も担っている。今はそれがミサトのやるべきことなのだ。

館長室に戻ったミサトはケンスケから送られたらシンジと息子のリョウジが仲良く笑顔で映る写真を眺め、残された時間があと僅かであることを悟ります。

ヴィレVSネルフ 最終作戦である13号機の停止


出展:株式会社カラー

ヴィレ及びヴンダーの最終作戦。それはネルフ本部で眠っているエヴァ13号機の停止。停止によってフォースインパクトを防ぎ人類補完計画を阻止することでした。

最後の任務のためマリとアスカは新型プラグスーツに身を包みシンジに最後の挨拶を交わしにいきます。

マリは改めてシンジに自己紹介をします。どんなことがあっても迎えにきてあげるからねと。

アスカはシンジからあの時(アスカが3号機に乗ったとき)戦うことも止めることもしなかったことを後悔していることを聞けると「少しは成長したじゃない」とシンジを認め、あのときは好きだったのかもしれないと伝えるとすっきりした様子でエヴァに乗るのでした。

途中、冬月が設計したヴンダーと似たネルフの飛行物体も現れるがミサトの機転でこれを迎撃。

大量のネルフエヴァ機体と対峙する新2号機と8号機もパリで得た増強パーツを使用してなんとか乗り越えます。

いよいよ、エヴァ13号機にたどり着いたアスカと2号機は破壊を試みるもののエヴァ2号機自らのATフィールドによって邪魔をされてしまいます。

そこで奥の手を使用するといったアスカは2号機に謝りながらも眼帯を取り封印されている装置のようなものを取り外し眼球から何かを解き放ちました。

「使徒の力を借りるつもり?アスカ!」

マリがそう言ったものの、2号機は羽が生えた別のモノになっていました。
そのままATフィールドを破ることはできたものの13号機を破壊することはできませんでした。

2号機の使徒化。これこそがゲンドウの狙いでもありました。使徒と化した2号機ごとアスカを取り込む13号機。

フォースインパクトではないアナザーインパクト、『アディショナルインパクト』が起ころうとしている。

マリは冬月のもとを訪れ話をすると、冬月は自らの役目を終えるようにLCLとなります。マリもまたマリアという名でゲンドウやユイと同じ大学で冬月先生の指導を受けていたのでした。

アディショナルインパクトの開始、ゲンドウの願い

事態をなんとか止めたいミサトは自らやってきたゲンドウと対話することに。途中割って入ったリツコは躊躇することなく銃弾をゲンドウの頭に打ったが、既にゲンドウは人を捨てた姿になっていました。

セカンドインパクトでは海、サードインパクトでは大地、そしてフォースインパクトで人々の魂を浄化することで人類補完計画は成されると説明するゲンドウ。

自らを使徒と化した肉体で13号機に乗り込み、マイナスの世界といわれる宇宙空間のような場所へ。

ネルフによって回収されていた初号機もそこにはあり、シンジは自らの意思で皆を守るためエヴァに乗ることを決めます。


出展:株式会社カラー

「ミサトさんの贖罪の半分を僕が引き受けるよ」

しかし、ニアサードで大切な人を失ったヒカリらはそれを銃で止めようと銃弾を放ちます。それをミサトさんが身を呈しシンジを守ります。

これまでのことを侘びながら何があってもシンジをサポートすることを約束するミサト。

ヴィレの面々もこれを承諾。また、槍がなければ13号機を破壊しアディショナルインパクトを防ぐことはできないため、ヴンダー自身を使って新しい槍の生成に取り掛かります。

初号機に乗り込みそこにかつての綾波が存在していたことを知りシンジの代わりになろうとしていた綾波からパイロットを引き受け負の世界に入ったシンジは改めてゲンドウと再開。

ユイが眠ってるとされる始まりの場所が作り出す虚構が作り出した世界でゲンドウ操る13号機と対峙。


出展:株式会社カラー

力による勝負では決着は付くことがないと語るゲンドウとシンジの対話が始まります。

ゲンドウはシンジと向き合うのを恐れていました。人を捨てたことにより無いはずのATフィールドがシンジとの間に発生し、自分こそが息子を恐れていたことを自覚します。

ここからゲンドウの回想がはじまり、自分が他者との向き合いを拒絶していたこと。

しかしユイの存在によってはじめて自らの居場所を見つけることができたこと。

そのユイが消えてしまったことでより絶望を味わい、ユイとの再開だけを目指してここまでたどり着いたという心の内を吐露します。

「父さんも僕とおんなじだったんだ。」

こうして、父のことをはじめて理解できたシンジはそれまで持っていたSDATをゲンドウに返しました。

さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。そして結末へ


出展:株式会社カラー

列車の中で対話していた二人はミサトが自らの命をかけて届けたヴィレによる槍を見つけると、シンジは感謝し、シンジの中にこそユイは存在したことを知りゲンドウは列車から下車していきます。

ここからの案内人はカオルくん。取り込まれていたアスカの魂にも触れ、エヴァに乗ることでしか生きる意味を見い出せなかったことをケンスケという存在によって変わるのかもしれないことを知りアスカも解き放たれます。

最後に赤い浜辺(旧劇ラストの場所)でアスカに好きと伝えてくれてありがとうと感謝を述べました。

続いてカオル。使徒としてゼーレに作られた彼もまたシンジを救うことで自分自身が救われたかったことを自覚し自分のために生きることを決意し涙を浮かべ下車していきます。この際、加持さんとの会話で渚司令と呼ばれる場面も。

最後に残された綾波もセット外のような場所でこれまでのエヴァでの出来事を振り返りながら去っていきます。

そして、ミサトから託されたヴィレの槍を使いエヴァ13号機を殲滅することに成功します。

同時に他のエヴァンゲリオンすべてがその槍の力で浄化されていきます。

「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」

こうしてアディショナルインパクトを防ぐことができたシンジは必ず救いに来ると誓ってくれたマリと再開。マリはたしかに迎えに来てくれたのでした。

場面は切り替わり、実写での駅のホームの対抗にいるアスカと笑顔で向き合うレイとカオル達が見えます。

そして、大人になった様子のスーツ姿のシンジはマリと待ちあわせをしていて、お互いを想うような言葉を掛け合うと電車に乗ることはなく階段を駆け上がりJR宇部新川駅(庵野監督の生まれた地)から二人で出ていきました。


出展:wikipedia

そのまま現実の実写による宇部新川の町並み、空が映し出されエンドロールへ。

エンドロール後。『終劇』の文字とともに劇場版完結。

ネタバレありエヴァ劇場版鑑賞後感想

エヴァという作品は自分のとってどこか同じ匂いするというような、つらい現実というものから、ときに逃げて葛藤してそれでも結局エヴァに乗ることでしか自分自身の存在価値を証明できないかよわい主人公を見せつけられてそれでいて現実からも目をそらしてはいけないよという言われているような気にさせられるような見るたび考えさせてくれる作品でした。

エヴァとの出会いはちょうどシンジ君くらいの中学生のときに「Air/まごころを君に」を当時の同級生からオススメされビデオをレンタルして鑑賞し

「よくわからないけど、なんか心を揺さぶられるこれは一体何なんだろう。」

というような気持ちを抱きました。

開幕の最低なシンジくんシーンもラストの気持ち悪いシーンも当時は全く理解できていないし、話もよくわからないしすこし拒否しているような気持ちにもなるけどすごいものを見せつけられてような感覚になり初めての経験でした。それからアニメ版もレンタルして一気見しました。

今回のエヴァ新劇場版では旧作のよくわからなった点や考察を見ないと理解できない設定等をきちんと説明してくれた上で

シンジくんは親を理解することで自立することができ、そして自らを縛りつけていたエヴァという存在もなくなったことで現実と向き合えた。

そんな終わり方になっていたので、観ている人にとってとても納得のいくようなラストだったのではと思っています。

細かい説明や考察は私にはできませんしよりきちんと解説してくれている記事がたくさん出て来ると思います。

大切なのはその作品を観たことで自分がどう感じたか、どう心が動いたか、だと思ってます。

そういった意味では青年期のモラトリアム真っ盛りの中〜大学でこの作品に触れたことがとても価値あるものだと思える反面、自分自身のあまり人と向き合わない。という部分の逃げ道になっていたのかなとも思います。

「シンジくんも悩んでたし逃げていたし俺だって仕方ないよね」

という無理なこじつけをしている気もしますし、実際このエヴァという作品によっていわゆるオタクや内向的な面を肯定する文化となった側面もおおいにあると思いますし実際私もそうだったかもしれません。

そういった意味でも長きに渡って世間にすごく影響を与えている作品ですよね。

エヴァに乗る=仕事をする(世の中の役に立つ)

という自分の解釈ですが、基本はエヴァから逃げる主人公。でもなんとか乗ってみたりする。それでも大切な人を傷つけたり多くの人に迷惑をかけてしまう。それでまた自信を失くす。

そんなことを繰り返していくシンジくんに勝手に自らを重ねて逃げ場にしていた。

今までの物語の中では、明確にシンジくんがどうなったかまで名言されていなかった部分(庵野監督なりの想いはあったのかも)がちゃんと補完され、こう最後の作品でファンにもわかりやすい形で完結させてくれたことがとてもありがたいなーと思いました。

特に前半パートの本来ただの人形であるはずのアヤナミが、豊かではない小さな村という人々が支えあうことでしか生活を成り立たせることができない環境で

仕事や家事を通して人としての感情を育んていくシーンはとても胸が熱くなりました。

近年のテクノロジーの発達で人との協力や助け合いが必要でなくなってる時代だからこそそうした人の有り難みに触れる機会も減ってはいて、

だからといって今自由が満ちた時代だからそうやって昭和的時代のような不自由である生活をあたかも素晴らしいものであるかと思い込むわけで、当時の人たちは100%幸せかというと絶対そんなことはないわけで結局人間ないものねだりであるとか思ったり

でもそれでも人付き合いが不器用な庵野監督なりに人間同士触れ合うことは大切なことなんだよっていうメッセージなのかなと受け取れて色々考えさせてもらいました。

話は逸れますが「サピエンス全史」という本の中に我々ホモ・サピエンスはほかの人類種にはない「神話や物語」によって共同体となり得ていた。

という話があり、エヴァでいうリリンと呼ばれる人間は魂が別々のか弱い不完全な生物であるが、共存するための何か(同じ村で生きること、誰かに再び会いたいということ、どんな世界でも人として生きたいということ)

によってより強く結ばれることができる可能性を秘めていることを示唆されているようでまた

同様にこのエヴァという、庵野監督という人物のただひとつの創作物にどこか弱さを持った人達が共通の神話として勝手に持ち上げ、あれやこれやと解釈し気づけば庵野監督すら想像もできない規模の神話になっていたのかなとも考えてしまいます。

いつもは偉そうにレビューで点数なんか付けたりしますが、規格外というか今までの「エヴァ」という認識がかなりフィルターをかけている気がするので今回はやりません。

確実に自分を形成する一部分となってくれているこのエヴァンゲリオンという作品は一生心のどこかに存在し続けると思います。

ありがとうエヴァンゲリオン。ありがとう庵野監督携わった方々。そして、お疲れ様でした。

※書きたいことを書いただけの乱文お読みくださりありがとうございました。

さわかぜ

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