コミュ力について本気で考えてみた。コミュ障、コミュ力が低い悩み。そもそもコミュニケーション能力とは?

雑記

突然ですか、皆さんはコミュ力高いですか??

よく会話の中で聞こえてくる『コミュ力』というワード。

「あいつは、コミュ力高いからなあ。」

「自分はコミュ障だから・・」

よく私自身もコミュ力について話します。そして以前まではことあるごとの自分はコミュ力がないといわば言い訳のように人に話していた記憶があります。

皆さんも

「コミュ力低いから、生きるのがしんどい。」

「もっとコミュ力があったら楽しい人生が待っているのに。」

そんな風に思う人もいるのではないのでしょうか。

そんな今の世の中に一番必要だよ。とか言われているコミュ力。いわゆるコミュニケーション能力について色々と持論で考えてみました。

そもそも考えてるようになったきっかけ

私の友人には、自他ともに認めるコミュ力が高い男がいます。最近、その友人と電話で約二時間ほど議論をすることになりました。そんな中、私が少し前に言った

私「お前はいろんな人とすぐに仲良くなることができていいよな。俺はそんな多数の人間とは仲良くはなれないしなっても面白くはない。お前のように能天気に不特定多数の人間と接することはできない。」

みたいに言ったこと(お酒も入っていたので私はあまり記憶がなし)をショック?に感じていたようで、少し悪かったなあと思いつつ。それを思い出し友人そしてこう言いました。

友人「昔からだが逆になんでそう思うのか。いろんな人と関わることで得することもある。なぜそうやって人と関わろうとしないのか。人生とっても損をしている。」

うーん、こうやって文章にするとその通りなのです。実際私は、極力人と関わらないように生きてきた節があり、最近こそなるべく人に誘われたり、自分からそういった集まりに参加しようと心がけているものの実際そうやって、人と関わることを半ば避けてきたばかりに損をしてきた場面が多かったと改めて感じました。

プロフィールにも書いていますが、大学生時代は特にひどかった。その4年間の中でいろんな出会い、別れがあり人間力や人脈を付ける機会をどれくらい失ったことか。

話は戻って、よくその友人に対してコミュ力が高いと言ったり感じたりしますが、そもそもコミュ力ってなんだ?と改めて考えてみることにしました。

そもそもコミュニケーション能力とは?

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以下、wiki抜粋

ある個体のアクション(発信)に応じて別の個体にリアクション(応答)が生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる。

定義は様々あるものの、上にあるように

発信者の内容にあった返答やアクションが行えればそれでコミュニケーションは成立しているのです。

これってほとんどの人ができていますよね?

だから本来のコミュニケーション能力というものは普通にほとんどの人が一定以上持っているものだと推測します。

ではその差を変えて、コミュ力の高い、低いって何の差なんだろう。

私と友人は何が違うのだろう。そんなことを考えました。そして自分の中で一つの結論に至りました。

コミュ力の正体とは

もちろんちゃんとした学者さんや本などでちゃんとした定義はあると思います。以下はあくまで私の考えです。

「なんで私は不特定多数の人間と関わることを避けたきたのか?」

それを改めて自分自身に問いたところ、一つの側面が見えてきました。それは

『多数の人間が集まるような場所では楽しめない性格である』

からです。それを実感するような状況になることもあって、そんな状況にいると「なにこれ、早く帰りたいんだけど」状態になります。

以外とこういう人って多いのではないかと思っています。

そもそも知らない人が多い状態だと落ち着かない。

周りが自分を気にしている気がする。

などなど。

じゃあ果たして私をはじめ、そういった人たちって人と話すことも嫌いなのか。多分そうではないと思います。

心を許せる友人や家族や恋人。

自分に刺激を与えてくれるような人。

仕事を通しても学びを与えてくれる人。

こんな人と過ごす時間は楽しいと思えるはずです。

では、いったいコミュ力の高いと言われている人は何が違うのか。それは

『知らない人といても苦にならない。その状況を心から楽しめる人』

なんじゃないかなと思いました。なぜならその友人はじめ、人からコミュ力たけー!って思われる人ってそういう見ず知らずの人が大勢いる中でも楽しめてしまう気がいていて、それって性格的な部分がほとんどを占めているのではないでなかろうかと。

もちろん、楽しくはないけどそれをあたかも楽しめるように見せて、コミュ力高いと思わせる人もいるかと思いますが、真の意味でも他人といるのが好きな人がよくコミュ力が高いと思われるのかななんて思いました。

じゃあ、コミュ障・コミュ力低いのは治せるのか?

「落ち着いて考えるスーツ姿の美人広報落ち着いて考えるスーツ姿の美人広報」[モデル:河村友歌]のフリー写真素材を拡大

いやこれ、むしろ治す必要なくないかって思います。

「コミュ力が低い」っていう言葉自体が良くなくて、自分はそういう性格なんだと割り切ることが大切なのかなと。そもそも私も一般的に「コミュ力低い」と思っている人も言われる人も本来の意味からすれば全く持ってそんなことないです。

むしろ、「コミュ力」なんてあいまいな定義で考えずに、単に他人といても楽しくはない性格ってだけって考えたほうがいいんじゃないかと。

私自身も、年齢を重ねるごとにコミュ力を高くしたい!なんて思って色々と人の集まる場に行きますが、話し方や振る舞いは変われど、本質的にはやはり楽しくはないなと感じますし疲れます。

かといって人がいる場に行くな。という意味ではなく、要はそういう性格である自分を理解し、

そのような場で人に合わせて無理に楽しもうと思うのでなく、ありのままの自分でどんな人にも接することが本来のコミュニケーションであり、なにより自分自身がつかれないし嫌いにならない一番の方法なのかなと思いました。

以上、ちょっときっかけがあったのでコミュニケーション能力について本気で考えてみました。

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