(当記事は、2018年7月5日に作成しました。)
美術に明るくないおとこ、ゲーマーのリョウです。
今回、美術に詳しい友人と一緒に国立新美術館にて
2018年5月30日(水)- 2018年9月3日(月)
の期間に開催している、
ルーヴル美術館展 肖像芸術 ―人は人をどう表現してきたか
へ行ってきたので、そのレポートを記載していきたいと思います。
美術や芸術には疎い私ですが、さすがにルーヴルくらいは単語レベルで知っていました。
写真:国立新美術館前にて当日チケットと一緒に。
平日のお昼くらいに行ったためか、当日チケットも全く並ばずに購入することができ、入場も全く待ちませんでした。
また、館内もそれなりに人はいるものの混雑していなかったため、スムーズに作品を鑑賞することができました。
こういった美術展に足を運ぶことはごくたまにありますが、毎回思うのが
その作品の想いをささげる作者の生きざまはすさまじいものがあるなと感じます。
美術展内は撮影禁止なので、実際の写真はありませんが簡単に気になったものを紹介していきたいと思います。
今回のルーヴル美術展の出展内容
写真:入口すぐにあるルーヴル美術展のロゴ
サブタイトルである、
「肖像芸術 ―人は人をどう表現してきたか」
とあるように今回のテーマは、絵や彫像やアクセサリーなどによって表現された、偉人や貴族や権力者、時には作者自身やその家族といった、
人をモデルとした、肖像芸術をメインとして多数の作品を展示しています。
その出典内容を公式サイトより引用しながら紹介していきます。
◆ プロローグ ◆ マスク―肖像の起源
本展の扉を開くこのセクションでは、肖像の起源に位置づけられる、古代エジプトの2つの異なるタイプのマスクを紹介します。
古代エジプトでは、来世での生を死者に確約するために、亡骸をミイラにしました。古王国・中王国時代(前2700頃-前1710頃)はミイラの頭を直接マスクで覆いましたが、新王国時代(前1570頃-前1070頃)にはミイラをかたどった人型棺が普及し、その蓋の頭部がマスクで飾られるようになります。この時代のマスクの顔は、故人の容貌に似せたものではなく、理想化・様式化された顔でした。
しかし時代が下って1-3世紀頃になると、ミイラの顔は板に描かれた肖像画で覆われるようになります。「ファイユームの肖像画」と通称されるこのタイプのミイラ肖像画では、写実性・肖似性が重視され、故人の顔立ちが生き生きと描写されました。
来世で生き永らえるという同じ願いに根ざし、同じエジプトで制作されながら、対極的な表現をなす2つのマスクは、あらゆる肖像作品に通底する「理想化・様式化」と「写実性・肖似性」という問題を象徴的に示しています。
出典:ルーヴル美術展公式サイトより
入って最初に飛び込んでくるプロローグでは、古代エジプトにおけるミイラを入れるための棺として人の顔をしたマスク。時代が進むとより精巧に作られたマスクが展示してありました。
古代より生前の人の顔はこうした形で作られていたのですね。
特に写真右側の作品なんかは、1世紀ごろの作られたものみたいですが思いのほかとてもリアルに作られていて驚きました。
◆ 第1章 ◆ 記憶のための肖像
第1章では、「人の存在を記憶する」という肖像の最も古い役割に焦点を当てながら、神々に捧げるため、あるいは子孫に残すために制作された、古代から19世紀までの肖像作例を紹介します。
古代の地中海世界には、祈願が成就したときの返礼として、あるいは信心の証しとして、神々や英雄など信仰の対象に、自身の像を奉納する習慣がありました。自分の分身となる像に信心の記憶を託したのです。
もう一つ、記憶という肖像の機能が発揮された主要分野が、葬礼美術です。古代には、亡き人や親族の記憶をこの世に残し、その永遠性を記念するために、肖像表現をともなう墓碑が幅広い地域で作られていました。シリアのパルミラ出土の《女性の頭部》は、その一例です。
そして、キリスト教文化が普及した中世以降のヨーロッパでも、墓碑に故人の肖像彫刻を用いる習慣は存続しました。その表現は時代や地域、社会によってさまざまに異なりますが、本章では中世末期から19世紀半ばまで、フランスの作例を中心に紹介します。《女性の頭部》《マラーの死》出典:ルーヴル美術展公式サイトより
古代から19世紀にかけて、様々な形で作られた多数の肖像芸術が展示されており、特に銅像や石像で作られた人物の像は驚くべき完成度でした。
第一章のテーマとして人々の記憶に刻まれるように制作された作品たちは、やはり見た目のインパクトに重きを置いた印象で、
例えば、死を演出した作品であっても実際の現実をより模写したようなシーンではなくより見た側の記憶に残るよう作者の工夫が感じ取れるような作品が多かったです。
◆ 第2章 ◆ 権力の顔
「記憶」と並び、肖像芸術が最も古くから担ってきたもう一つの役割が「権力の顕示」です。王や皇帝など最高権力を振るった君主にとって、自らの似姿である肖像は権勢を広く知らしめる最も有効な手段でした。そこには、誰が見ても君主だと分かるように、各時代・地域・社会の文脈に応じて構築された表現コード(決まった表現の仕方・表現上のルール)が用いられています。
たとえば、紀元前三千年紀末頃の古代メソポタミアの王は、《ハンムラビ王の頭部》と通称される像のように、縁のある被り物をかぶった姿で表されました。また、フランス皇帝ナポレオンは、古代ローマの皇帝像とフランスの国王像の双方の表現コードを自らの肖像に巧みに取り入れ、君主としての正当性を強調する戦略をとっています。こうした権力者の肖像は、頭部像、胸像、全身像などの彫刻、絵画や版画から、持ち運ぶことのできるタバコ入れ、貨幣やメダルまで、多岐にわたる媒体に表現され、国土の隅々まで伝でん播ぱしました。
本章では、絶対権力を握った君主や、王妃・王女を表した作品を通して、権力者の肖像表現の特質を浮かび上がらせます。さらに、古代ギリシャの詩人ホメロスから19世紀フランスの文豪バルザックまで、「精神の権威」ともいうべき哲学者や文学者の肖像も紹介します《アルコレ橋のボナパルト(1796年11月17日)》
《戴冠式の正装のナポレオン1世》《フランス王太子、オルレアン公フェルディナン=フィリップ・ド・ブルボン=オルレアンの肖像》《フランス王妃マリー=アントワネットの胸像》《国王の嗅ぎタバコ入れの小箱》出典:ルーヴル美術展公式サイトより
第二章では、貴族や権力者などの力を持った人物の肖像芸術に焦点を当てています。
皆もご存じのボナパルト・ナポレオンやマリーアントワネットなどの有名人の作品もあり、あまり芸術に明るくない私でも
「おおー、これはわかるぞ」
となるような作品群が多かったです。やはり権力者はより自分をよく見せれるような作品を好んでいたようで、有名人に気に入られてそれをきっかけにブレイクをした作者もいたようです。
絵画作品では、顔や表情をより美しく見せるためか、周りの色を暗めにしてより顔に注目するような工夫?をしているのかなと思いました。
印象的だったのが、自国の国王や貴族、また他国の国王や貴族の美しい肖像画をあしらった嗅ぎタバコ入れの小箱です。
この丸いメダルのようなものを小箱にはめ変えることでおしゃれを楽しんでいるような作品でこうした趣向品もあることが驚きとともに「めっちゃおしゃれやん」と思ってしまいました。
◆ 第3章 ◆コードとモード
古代以来の「記憶」のための肖像、そして「権力の顕示」のための肖像は、王侯貴族や高位聖職者のみが制作できた特権的なジャンルでした。しかし、ルネサンス以降のヨーロッパでは、社会の近代化にともなってブルジョワ階級が次第に台頭し、有力な商人や銀行家から、さらに下の階層まで、肖像のモデルの裾野が広がっていきます。こうした肖像は、古代より培われた上流階級の肖像表現のコード(決まった表現の仕方・表現上のルール)を踏襲しつつ、一方では各時代・地域・社会に特有のモード(流行)を反映しながら、じつに多様な展開を遂げました。
たとえば、衣服や装身具の描写は、「記憶」と「権力の顕示」のための肖像にも、ルネサンス以降のより幅広い階層の人々の肖像にも欠かせない表現コードでしたが、前者ではモデルの社会的地位や役割を伝え、その存在の永遠性を記念する機能を担ったのに対し、後者では時代のモードに即した衣服や装飾品が取り入れられ、モデルの人柄や個性、そして彼らの一瞬の生の輝きを伝える役割を果たしました。ルネサンスのヴェネツィア女性ならではの優雅なドレスや宝飾品の繊細な描写によって、モデルの魅力を際立たせたヴェロネーゼの傑作《美しきナーニ》は、その好例といえるでしょう。
本章では、ルネサンスから19世紀までのヨーロッパ各国の肖像作例を、男性、女性、子どもと家族などの主題別に紹介しながら、コードとモードが錯綜するなかでどのような肖像表現が展開されたのかを考察します。《女性の肖像》、通称《美しきナーニ》《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》《第2代メングラーナ男爵、ルイス・マリア・デ・シストゥエ・イ・マルティネスの肖像》《性格表現の頭像》出典:ルーヴル美術展公式サイトより
第三章では、貴族や権力者に留まらず、ブルジョワ階級である上位階級の間でも肖像芸術は行われるようになり、その際に使われるコード(一種のお決まり表現など)のルールを踏襲しつつもそれぞれ別のモード(その時々の流行り的なもの)を使いながら、表現している作品群が展示してありました。
この展示の目玉?である《美しきナーニ》なその鮮やかな見た目が印象的でした。
《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》は若くして未亡人となった彼女の作品はその表情の美しさと色使いの鮮やかさがマッチしていて、個人的に一番美しいと思った作品でした。なんでも作品当時34歳だったとか。作品のためわざとそう書いているのかもしれませんが、美しすぎました。
◆ エピローグ ◆
第3章 アルチンボルド―肖像の遊びと変容
本展を締めくくるのは、16世紀後半に活躍した奇才の画家、ジュゼッペ・アルチンボルドの「四季」連作に属する2点の傑作、《春》と《秋》です。
ハプスブルク家の宮廷で三代にわたる神聖ローマ皇帝に仕えたアルチンボルドは、さまざまな動植物や事物を寄せ集めて構成し、複雑な寓意を込めた奇抜な人物画によって、絶大な人気を博しました。その人気を支えていたのは、彼の絵画の最大の特徴である「多義性」です。
《春》を例にとってみましょう。鑑賞者は、《春》のなかに人物の姿を見ながら、同時にそれを構成する花の一つひとつを識別することができ、1点の絵画を肖像画としても静物画としても楽しむことができます。また、多種多様な植物が寄せ集まったイメージには、「春」の季節の寓意と同時に、森羅万象を掌握するかのような強大な権力の隠喩を読み取ることができるでしょう。表現と意味内容のいずれにおいても多義性をもつこうしたイメージは、人文主義に根ざしたルネサンスの宮廷文化のなかで、視覚と知性の双方を楽しませる奇想として支持を得ました。
ただ一人の人物に似ていること―「肖似性」を本来的特徴とする肖像は、多義性とは相容れないように思われます。しかし興味深いことに、ルネサンスから20世紀のシュルレアリスムに至るまで、多義性を帯びた奇想が最も華々しく展開された芸術ジャンルは、肖像でした。本章では、見る人の視線によって多義的イメージに変容する肖像の醍醐味を、アルチンボルドの作品を通して堪能していただけるでしょう。≪春≫出典:ルーヴル美術展公式サイトより
エピローグである最後には、春の草や花によって表現された、≪春≫と
秋の果物や食べ物を使って表現された≪秋≫
が展示しており、肖像における表現方法の多様性が広がってくような二つの作品でした。
友人曰く、やはりこの頃から絵画における表現方法が多様化していったとのことでした。
最後の最後にインパクトのある作品でした。
ルーヴル美術展に行ってきての感想
正直あまり、美術には詳しくはないし、普段から関心があるというわけではないのですが、こうした作品展を通して、その時代の背景や
作者の生き方を考えさせてくれる機会にもなるので有意義な時間になりました。
一緒に行った友人が、芸術や歴史に博識な人なので、作品を見ながらや観終わった後にその作品の歴史的背景や作者の関連作品など詳しく解説してくれるので非常に助かっています。(いつもありがとう!)
毎回思うのが、本当はその作品を見て終わり!ではなく、興味を持った作品や作者を後で調べたり、その歴史を深堀することで本当の意味での身になるということになると思うので、
本当はそこまでしたいと思っています。(とは言いつつなかなかできていない・・)
実際のフランス、パリのあります、ルーヴル美術館本館にもいつか行ってみたいと思います!
また、国立新美術館にはメインの展示会以外にも展示点が多数あり、行ったときは
「習字」や「陶器」
に関する展示展がありいずれも無料で入れたので興味がある方は一日楽しめる場所かなと思いました。なにより国立新美術館のあの雰囲気が大好きなのでまた行きます。
※8/24~はジョジョ展行われるみたいですね。去年も仙台で行われたものに行ったので今回も行きます!その際もレポートを記事にする予定です。
— 荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋 (@JOJOex_2018) June 23, 2018
以上です。ご覧いただきありがとうございます。
ゲーマーのリョウ
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