(当記事は2019年5月23日に作成されました。)
挫折が人を成長させるは本当だと思う件。ゲームしか取り柄のなかった男が過去の挫折から学んだこととは?
それなりの歳を重ね、極力面倒なことから逃げてきたさわかぜです。
そんな自分の人生においても「挫折感」や「絶望感」を味わった経験は何度かあります。
今回は、そんな挫折をした経験から得たこと、人はやはり失敗や挫折があるからこそ「成長」につながるのでは?というお話です。筆者の実例を踏まえて書きましたのでよければ最後までお付き合いください。
仕事に関すること
私のようなダメ人間が社会に解き放たれそこそこの時間がたっていますが、仕事においての挫折というのは当然多いです。
というか世の中のほとんどの人は仕事を通じて多少なり失敗し挫折したという経験があるかと思います。
仕事というのは「目的」が明確にあるもので、そこに向かって多種多様な人たちが集まって物事を進めていくのが仕事なのでそりゃあ大変ですよね。人に合わせるのが苦手な私のような人間にとっては特に。
業務上の挫折感を感じたのはもう数えきれないくらいあります。
私のキャリアは大きく2つあるのですが、前職は葬儀屋さん、現職はエンジニアです。
前職では社会人としての基礎力がなくまあ毎日にように叱責されたものです。
現職でもエンジニアという仕事柄、話し方や考え方をロジカルなものにする必要があり非常に苦労しました。
そんな出来事のひとつひとつがその時はつらい思いをしながらも、「社会人としての成長」につながっていることも事実で
人に説明したり、資料を作成したり、パソコンが詳しくなったりという目に見えるスキルになっています。
しかし!今回お伝えしたいのはそんな、働く上での最低限の技能取得としました。というようなありきたりな話ではありません。
私が一番感じた、挫折感というより絶望感に近いものはとある企業に転職したときのことです。
(自分語り多くて申し訳ないですが)もともと中小のIT企業にて未経験で入社した私は
今後の将来のため、給料を上げるため、よりエンジニアとしてごりごり活躍していくため、転職活動を行い、一部上場している某大手IT企業に内定をもらいました。
初めての一人暮らしも始めた私は、少し浮き足立っていたかもしれません。
ひょっとしたら「いい会社に入ること」が目的になっていたのかもしれません。
入社して約1週間くらいしてから、私を正体不明のとんでもない「絶望感」が襲います。
ふと、窓から除く都会の景気を見て思ってしまったのが
「この景色をあと何百回、何千回と見ることになるんだろうか」
ということ。こうしてこの会社でずーーーっと長い間働くことになるだろうという気持ちが
突然襲ってきました。意識しておらず急にです。
今思えば実際そんなことは多分なくて、何年か働いて転職するかもしれないし、移動になるかもしれないし、独立するかもしれないし。
人生なんてそんな単調なものでないと今では思いますが、このときはなぜかとてつもない絶望感に襲われました。
ここから数か月、なんとか頑張ったものの、結局気持ちが付いていかずドロップアウト。
これは私の悪い部分なのですが、「未来のことを考えすぎてしまうこと」があります。
これは正直よくはありません。未来なんて誰にも全くわからないのが普通です。
ですが、このことをきっかけにいまだに思うことが一つあります。
それは、会社員としての働き方はおそらく自分には合わない。ということです。
人は当然のように、会社の中で労働します。たくさんの人間がいる中で
お金のために「働く」というのはほとんどの人が該当する共通項です。
職種にもよると思いますが、仕事なんて実際その職種を知るのに3年くらいはかかりますし、
日本は違う職種へのキャリアチェンジはしずらいもので年齢や経験に大いに左右されます。
物事には「合う、合わない」はもちろんあります。私は会社員として働くのは合っていないのだろうと思っています。
多分そんな人はたくさんいます。でも人は無理に適応します。
そうして、「社会人」という一種のフォーマットという形の中に納まることになります。
その枠の中で自分なりの個性を見つけるのが会社員だと私は思います。
その「フォーマット」の形になりたくない、というかなれないんです。
だからこそ自分に合った「生き方」を模索している最中です。
これから先仕事をしていて決してあの時のような感情にはなりたくありません。
そのためには身近で小さなことを積み重ねくていくしかないと思うので、自分なりのペースで少しでも切り開いていこうと思います。
恋愛について
二つ目は、人の心にいい影響も悪い影響もダイレクトに与えてくれる恋愛についてです。
非モテ男の筆者は恋愛経験が少ないものの結論から言うと以下になります。
他人にいくら時間を費やしたところでそれが自分の将来にとっての価値あるもの「なりづらい」ということです。
「他人」に依存してもあまり意味ない。というのが私の意見です。
例外はもちろんあって、
・本当に相手のことを心から大切にしている。
・結婚し家庭を作ることが目的である。
・孤独に生きていくのが耐えられない
など目的をもった上での恋愛や結婚は大いに素晴らしいことであると思います。
ただし、「なんとなく寂しい」とか
年齢的に世間体を気にしてしまう」
といったような理由で自分と相手の時間を消費するのは多少危険かなと思います。
もちろん、交際する相手との相性などもありますが私の場合はそれがよくはなかったようで、心も時間も消費しましたし、おそらく相手方もそう感じていると思います。
極論ですが、そうして過ごした数年なりという時間が無駄になるわけです。
ひと昔前では、結婚して家庭を持って、子供を作り、男は定年まで勤め上げ、
女性は家庭を守る。というような構図はいわば一般的ではありましたが、
多様性を求める現代ではそうした生き方が当たり前ではなく、むしろ全体から見てどんどん少ない割合となっていっています。
昔の当たり前は現代のテクノロジーの発展によって淘汰されているため、
家庭を持つこと、恋愛をすること以外にも「自分なりの生き方」を探せる世の中になっているんだと思います。
私なんかは、人としゃべったり過ごしている時間よりも、一人もくもくとゲームをやったり映画を見ているほうが充実感を感じます。
だから人がたくさんいるところや人が多く集まる飲み会なんかは苦ですし、行きたくありません。
少し前までは
「なんて陰キャな人生なんや・・」
とかさらにネガティブになっていましたし、楽しそうに人とコミュニケーションをとる人を見かけては羨ましい。なんて
思ってましたが、もはやそれも自分の特性の一部なんだと受け入れています。
やや話が逸れてしまいましたが、何が言いたいかというと最初に言った通り、恋人であれ友人あれ、さらには家族にしたって
「人に期待しない。依存しない。」
気持ちが大事なんじゃないかっていう話です。
半面、人に期待しないということは物事のすべての責任が自分あるということです。
私は「人や環境のせいにしない。すべての物事は自分の責任で起こっていることを理解する」ことを非常に意識してます。
他の物事のせいにするっていうほうが多分気持ち的にはるかに楽です。でもそうすると成長も伴わないのでこれからは
「自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。」を実践していきます。
挫折と成長についてのまとめ
「仕事」を「恋愛」という人の二大軸で書いていきましたが、当時はかなりしんどかったりそれこそ引き込こもりがちになったりとかなり人生に絶望していたものですが、そんな経験も今では糧となっています。
それを引き越したもの自分の生き方なので、後悔は当然しますが無駄ではなかったのかなと思っています。
その挫折したどん底期間を通り越しての今があります。そんなどん底だったからこそ、どうにかして「発信する場」を持とうをブログやYouTubeを始めることができました。
私が思う人間の素晴らしいところは、
「過去の失敗や経験から学び、それを繰り返さないよう努力できる」
点にあると思っています。
今はひたすらに目の前のことを頑張るしかないと思っているので、全力で考え行動するだけですが、
やはり人間つらいことや悲しいことはたくさんありますし、今後もあると思います。
そんなときにこそ、家族や友人や恋人に頼って、相談して、支えになってもらいましょう。
そして、逆にそんなつらそうな人がいたら支えてもあげましょう。
成長は自分の努力と行動、それによって生じる障害をうまく回りに吸収してもらいながら道を切り開いていけるような生き方をしていきます。
今後とも「折れずに」頑張ります。
さわかぜ
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